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現地リポート

2021年全米オープンと
ニューヨーク市街の様子を、
現地観戦を通じてみなさまにお届けします。

VOL.01

テニスライター 内田暁コラム

歩みを進める錦織圭 7年前の死闘からの軌跡を追う

 2014年、ニューヨーク。

 錦織圭が、全米オープンテニス決勝のステージまで駆け上がったあの夏——もっともヒリヒリした情動と共に記憶に焼きつく試合は、世界1位のノバク・ジョコビッチを破った準決勝でも、息苦しい決勝戦でもなく、日付を越えた4回戦の死闘だ。

 対戦相手は、ミロシュ・ラオニッチ。当時の世界ランキングは6位で、大会の第5シード。23歳の年齢は、上位勢の最年少だった。

 対する錦織は、大会第10シードの24歳。年齢が近く、似た成長曲線を描くがゆえに既に幾度も足跡を交錯してきた二人の関係性は、特に欧米メディアでは旧約聖書の『ダビデとゴリアテ』の文脈で語られた。パワーに長ける巨人ゴリアテに、知略で立ち向かう羊飼いの少年ダビデ。年齢、実績、そしてプレースタイルや生い立ちのコントラスト……ファンはこの二人こそが、テニス界の未来だと予感していた。

 時代の流れは、必然的にショーケースにふさわしい舞台を用意する。4回戦での二人の試合が組まれたのは、センターコートであるアーサー・アッシュ・スタジアムのナイトマッチ。意外にもこれが、錦織にとってアーサー・アッシュ・スタジアムのデビュー戦であった。

 次代の旗手争いとも言える一戦で、見る者の度肝を抜いたのは、超高速サーブという一撃必殺の武器を誇る“ゴリアテ”である。破裂音を轟かせラケットに弾かれた黄色い打球は、瞬きする間もなく錦織のコートをえぐりバックボードに達する。そのスピード、最速144マイル(約232キロ)。あまりに圧倒的なパワーを前に、ダビデの技と知恵は無力かに思われた。

 だが、試合が進むにつれ、錦織は相手の思考を読み、呼吸を同調させるかのようにサーブにタイミングを合わせていく。鋭いリターンを返し、打ち合いになれば多くの局面で錦織が優位に立った。ただ、いかに集中力を高めチャンスを得ても、一本のエースですべては振り出しに戻る虚しさがスタジアムをたびたび覆う。常にラオニッチにセットで先行され、そのたびにどうしようもなく追い詰められた切迫感を背負いながらも、錦織は目の覚めるようなリターンを定期的に放ちスタジアムの歓声を引き起こした。時間の経過とともに、錦織がラオニッチをとらえていくのは間違いない。問題は、ラオニッチがゴールに到達する前にとらえきれるか、いなか? 試合はまるで、錦織の集中力と体力の残量を示す砂時計をひっくり返し、最後の砂粒が無くなる前に逃げる相手を捕えきれるか……という様相を呈していた。

 その試合構造が大きく動いたのが、第4セットの終盤だった。並走状態を打ち破った錦織が、続くゲームをキープし第4セットを奪取した時、不思議と、誰もが錦織の勝利を確信したようだった。

 試合時間は4時間19分。試合終了時間は、早朝の2時26分。これは当時の全米オープンテニス大会史上、最も遅く終わった記録に並ぶものである。

「勝てない相手も、もういないと思うので、上を向いて進んでいきたい」

 拍手に迎えられ会見室に現れた錦織は、周囲の喧騒と興奮とは無縁の落ち着いた空気をまとい、冷静にそう言った。

 あの夏から7年経った今年、全米オープンテニス出場者の顔ぶれや、彼らを主役とするテニス界の景色や勢力図は様変わりした。

 ミロシュ・ラオニッチは、足のケガを理由に今大会の出場者リストに入っていない。錦織が、準決勝で破った当時4位のスタン・ワウリンカも今大会は欠場。ベスト4だったロジャー・フェデラーも、膝に再びメスを入れ長期コートを離れた。

 2014年に、最終的に錦織を決勝で破りグランドスラム初優勝を果たしたマリン・チリッチは、現在36位までランキングを落としている。またこの年、錦織らよりさらに若い世代として期待され、4回戦進出でスター性を示したのが、当時20歳のドミニク・ティーム。昨年、悲願のグランドスラムタイトルをニューヨークでつかんだティームだが、彼もこの初夏に深刻な手首のケガに見舞われ、今回の全米オープンのみならず夏のハードコートシリーズはすべて欠場している。

 コロナ禍によるツアー中断や、再開後も多くの行動制約がある中で、テニス界のマップは大きく描き替えられた感もある。そのなか、過去に今を照射すると改めて浮かび上がるのが、アスリートにとっての7年間という時間の重みだ。

 それらある種残酷な現実のなか、31歳になった錦織圭は、ニューヨークに居る。あの時から、右手首の腱脱臼という大けがに見舞われた。生命線とも言える右ひじに再びメスを入れもした。本来なら復帰戦となるはずだった昨年の全米オープンテニスは、直前に新型コロナに感染し出場が叶わず、その後も肩の炎症で思うように実戦がこなせなかった。

 それでも彼は、今年の2月以降、かつている場所に戻るべく前に歩を進めている。プレー面では、身体への負担を減らすべく、サーブ&ボレーの名手として知られるマックス・ミルニーをコーチに招き、ネットに出る機会を増やすスタイルを標榜している。

 ウィンブルドン後には、最大の武器とするフォアハンドのストロークのかつての感覚を取り戻すべく、徹底的に打ち込んだ。結果、「この2年で一番いい」「吸い付くような感覚が戻ってきた」と明言するまでに自信を深めている。東京オリンピックの初戦で、世界7位のアンドレイ・ルブレフを圧倒したのはその証左。この白星は錦織にとって、実に2年8か月ぶりの対トップ10勝利でもあった。

 オリンピックの話題が出たところで、ややトリビアではあるが、伝えるべき錦織の偉業にも触れておきたい。今回の東京大会でベスト8に入った錦織は、5年前のリオでは銅メダル、2012年のロンドンでもベスト8に入っている。この結果、錦織はオリンピック3大会連続でベスト8以上に入った、初のテニス選手となった。

 ケガによる離脱のため、ランキングを55位まで落としている今の錦織にシードはつかず、今大会でも3回戦でジョコビッチを当たるドローに入った。道の険しさはどうしようもなく、また、最近も悩まされてきた肩や手首の痛みや状態も、当然ながらパフォーマンスを左右する。

 それでも何より重要なのは、この移ろいが激しいテニス界で……かつての若手たちも時間の闇に脅かされるなか、錦織はコートに立つということだ。そこには、必ず希望がある。

 7年前——。錦織は大会直前に足の手術を受け、直前まで出場すら諦めていたのだから。

内田暁

内田暁

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テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

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